歴史

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蒙軒学舎跡

蒙軒学舎跡は郷土の先覚者近藤喜則翁の創設によるもので、明治前期における山梨県の代表的な私塾として多くの人材を輩出し、特に本県で初めての外国人教師を招いたことでも有名です。

学舎は明治2年(1869)戊辰戦争で敗れた流亡の幕臣、豊島佳作を用いて地域の子弟の教育にあたらせた私塾「聴水堂」にはじまります。明治6年には独立の教場や寄宿舎を持つようになり、そのころから蒙軒学舎と改名しました。漢学、数学、英学の三学科が中心で週五日制をとり、土曜日は討論会や演説会、吟行等を行い修業年限は4年でした。学舎の声価は著しく、県内はもちろん、静岡、神奈川から学ぶ者も多く、塾生の要望により明治10年カナダから伝導のために来日していたイビー博士を招いて直接英語が教えられました。このことは本県教育史上画期的なことであり、同時に本県におけるキリスト教伝導のきっかけともなりました。

明治21年、学舎を支えていた翁の子息麟二郎、蕗太郎の相次ぐ急逝により閉鎖となりましたが、学舎設立の主意にある「斉シク修身立志ノ道ヲ得セシムルニアリ」とする、建学の理想は今日も地域の中に脈々と受け継がれています。

近藤喜則翁の碑

近藤喜則翁

イビー博士

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