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町の概要

位置

本町は、県庁所在地の甲府市より南へ約60キロメートル離れた山梨県の最南端に位置し、北東から南西方向へ約21キロメートル、北西から南東方向へ約16.5キロメートルで、総面積は200.87平方キロメートル、県土の約4.5パーセントを占めている。

北側は身延町、東・南・西側の三方は静岡県(富士宮市、静岡市)に接した県境の町である。

また、国道52号、JR身延線など山梨県と静岡県を結ぶ主要幹線が地域内を貫いており、静岡県から山梨県にアクセスする際の玄関として交通の要衝となっている。

周囲西側には十枚山(1,726メートル)、篠井山(1,394メートル)、仏谷山(1,503メートル)、青笹山(1,555メートル)、北東には天子ヶ岳(1,330メートル)、長者ヶ岳(1,335メートル)、思親山(1,030メートル)、南に貫ケ缶(897メートル)、東に白水山(811メートル)、白鳥山(567メートル)と緑豊かな山々が連なり、その山あいに源を発した清水は、戸栗川、船山川、中村川、佐野川、楮根川、福士川、万沢川となって町の中央を貫流する日本三大急流の一つ富士川に注いでいる。

また、これらの河川に沿って集落が点在し、中山間地特有の景観を形成している。

面積

土地の利用状況は、宅地2.51平方キロメートル(1.2パーセント)、農用地4.43平方キロメートル(2.2パーセント)、森林175.48平方キロメートル(87.4パーセント)、その他18.45平方キロメートル(9.2パーセント)で、森林の割合が高くなっており、豊かな自然が保全されている。

気候

気象条件は、年平均気温が15度と比較的温暖で、年間降水量は2,500ミリメートル前後と山梨県内では最多雨地帯であり、降雪は極めて少なく、四季を通じて過ごしやすい太平洋沿岸気候に属している。

歴史

本町の歴史は古く、天神堂遺跡(てんじんどういせき)に代表されるように遠く先史土器時代から集落が形成されていた。

鎌倉期には源頼朝(みなもとのよりとも)に従い戦功のあった南部三郎光行(なんぶさぶろうみつゆき)が南部を与えられこの地を領し、その後奥州に移り糖部五郡(現代の青森、岩手の一部)の広大な地を与えられ南部藩を築いている。

室町時代には武田氏に仕える穴山氏がこの地を治めた。その後、穴山氏が断絶したので徳川家康が支配し、幕府の統治下に入り明治時代を迎えた。

近世、本町は河内領(かわちりょう)に属していた。

明治時代にはいると、当初は、旧南部町の区域が11村(中野村、本郷村、成島村、南部村、塩沢村、大和村、内船村、井出村、十島村、上佐野村、下佐野村)、旧富沢町の区域が3村(楮根村、福士村、万沢村)、あわせて14村に分かれていたが、いわゆる「明治の大合併」を経て、明治22年時点で、睦合村、栄村、富河村、万沢村の4村となった。

その後、「昭和の大合併」により、昭和30年に南部町と富沢町が誕生した。

昭和40年代から平成の初頭までは、国全体がほぼ順調な経済成長を遂げた時代であり、両町とも、それぞれ独自のまちづくりを進めてきた。

しかし、高齢化等の進行により過疎化が進む一方で、行政サービスに対する住民ニーズは、ますます多様化、高度化しており、より効率的に、また専門的な視点に立って行政運営を行う必要に迫られ、さらには、全国的に地方分権政策が進められており、行政サービス推進における市町村の役割が増大し、行財政基盤を強化することが必要とされる中、両町は早くから合併の必要性を認識し、平成15年3月1日に新「南部町」が発足した。

お問い合わせ先

南部町役場
〒409-2192 山梨県南巨摩郡南部町福士28505-2
TEL:0556-66-2111
FAX:0556-66-2190