歴史

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中世穴山時代の史跡・文化財

諏訪神社

社記によると、諏訪明神社は上下両社があり、新羅三郎義光が勧請したと伝えられ、戦前は郷社として近隣の尊崇を受けていました。昔は、上諏訪社は7月28日、29日に祭礼を行い、29日には浜下祭を行ったと社記・甲斐国志にはありますが、現在は4月に行われています。
穴山氏がこの地を領していた時代には、騎馬武者二十騎を神興の警固として家中より派遣したうえ、東西河内領の神主を集めて祭りを行ったといいます。

諏訪神社

獅子面

南部山円蔵院

臨済宗妙心寺派の名刹で天文年中に河内領主穴山伊豆守伸友が自らの菩提寺として、甲府長禅寺の桂岩和尚を開山として創建したものです。
当時の山号は、古城山と称していましたが、文化年間以降に今の山号に改めたものです。
境内には穴山信友の墓「円蔵院殿前豆州太守剣江義鉄大居士・永禄三年庚申年(1560)12月16日没」があります。寺には穴山伸君(梅雪)が亡父の姿を画かせて寄進した絹本穴山信友画像(県文化財)や武田、穴山、徳川氏らの支配文書が多く所蔵されています。

絹本穴山信友画像

紙本墨画達像図

絹本著色釈迦涅槃図

ジュンサイ

尚、池のジュンサイは県下唯一のものであり、裏山に自生するカギガタアオイとリンボク、コシダ、ウラジロ、シイの群落共々、県の自然記念物として指定されています。
不幸にして昭和31年2月13日、類焼の災により昔の建物はことごとく焼失し、わずかに正面の二つの門と土塀だけが往時を偲ばせています。

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南部町教育委員会 生涯学習課
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